北京生活情報

2010年08月31日

覇権争い

昨日、NHKスペシャルの「灼熱アジア」を見た。
特集は、湾岸諸国の新エネルギー戦略と、
それを取り巻く世界的なエネルギーの覇権争い。
概要は、HPから抜粋すると、以下のようなもの。

砂漠の中にマスダールシティという
巨大な新エネルギー都市を建設したアブダビ
LNG(液化天然ガス)の分野で瞬く間に
世界の主導権を握ったカタールなど、
いま、湾岸諸国は、蓄積した巨額資金を集中投下し、
脱石油戦略に舵を切った。

クリーンエネルギーやCO2排出が少ないガスの分野でも
次々と事業を立ち上げる中東に欧米の巨大企業や
中国・韓国の政府系企業が群がる。

石油プラント建設で地歩を築いてきた日本企業は、
高い技術力と長期を見越した丁寧な仕事への信頼感で
中東での仕事の受注を獲得してきた。
しかし、低コストを売り物にするアジア企業の激しい猛追をうけ、
国際分業のなかでの存在感が問われる。

灼熱の大地に壮絶な企業人の格闘を追う。



何が印象に残ったかって、
原子力プラントの入札で日本や中国に勝った韓国企業連合と、
それをトップセールスで支援した
韓国のイミョンバク大統領の笑顔。

僕の仕事でもそうだけれど、
やっぱりトップが動けばビジネスは動くことが多い。

エネルギー産業はこれから、群雄割拠の時代を迎え、
日本も「省エネ技術では世界最先端」などと言っていられないほど、
他国の猛追はすさまじいものがあるようだ。

そんなエネルギー覇権争いの中で、
日本のリーダーは、国内、いや党内覇権争いにあけくれているように、少なくともテレビや新聞を見る限り、思う。

僕が担当企業に対して攻めようとしているときに、
役員が誰が社長になるかで揉めて、
結局企業に訪問することが出来ない、なんてことが
あったら、ビジネスが上手くいかないだけじゃない、
そんな内向きな企業なんて、お客さんも愛想をつかすだろう。

あまっちょろいことを言うが、
トップが誰になるか、よりも、
上層部が共通の目標に向かって団結している、ということが大切で、
それでないと、その部下や従業員はモラルが下がる。

多少無謀でも良い、
日本のエネルギー戦略や、成長戦略、福祉戦略、
そういったものを語ってくれるようなリーダーになりたい、
そういったものを伝えてくれるようなメディアでありたい。
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2010年08月26日

語りえぬものについては、沈黙せねばならない

最近の民主党の代表選のニュース、
メディアが伝えることを聞いていると、
だんだんだんだん、自分の気持ちが削がれていくのが分かる。
何も言いたいことがない、
何を言うつもりにもなれないので、
出てくる言葉は、「ふ〜ん」ということが多い。

メディアも、メディアが伝える政治家の言葉も、本当に軽いと思う。
だから、軽い言説に対しては、沈黙するか、
「ふ〜ん」と嘆息するしか対処の仕方が分からない。

そんな「何も意見がない」という自分に気付いた最近。
ちょうど、内田樹先生の「街場のメディア論」を読んでいる。
以下は、そこから少し抜粋して書く。


言うまでもなく、言葉の価値は、言葉の内容では決まらない。
「どのような歴史を持った人間が、どのように言ったことなのか」
という要素において、それは規定される。

同じことを同じように異なる二人の人間が言っても、
Aさんは説得力があってうなずけるけれど、
Bさんの言葉は聞くに値しない、ということはよくあることである。

今のメディアが言うことも、それに対して自分が思うことも、
どちらも
「これだけは僕が言わないと、僕は僕でいる理由を喪失する」
なんてことではないし、
「それを否認すれば生かしてやる、それを主張し続ければ殺す」
という局面においては、いともたやすく否認する程度の言説である。

メディアの本来的役割は、
よく分からない「世論」を形成することなどではなく、
「主張し続ければ殺される」というくらいの緊迫した言説であり、
人生という責任をかけた言説を提供することであろう。

この平和な日本において、
それだけの気概で常に挑むことは難しいかもしれない。

だけど、
自分の言説の中で、「殺されてでも主張する」べきことが
どれだけ含まれているのか。
「沈黙すべき」であるのに、発してしまう軽い言葉がどれだけ
含まれているのか。

マスメディアも個人の発信も、そういった自己点検くらいは、
定期的にすべきではないか、というお話なのであった。


聴くに値する話し手、
読むに値する書き手、

関係するに値する人物にならないと、
なんて、当たり前のことを思う。
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2010年08月20日

Jordan旅行記E〜出会いと別れ〜

8月5日

旅行最終日は、地元のスーパーで買い物をしてから、
ホテルでチェックアウト手続きを済ませて、
最後にキング・アブドゥッラー・モスクを訪ねる。

生まれて初めて立ち入るモスク。
祈りを捧げる多くの地元民、
寝そべっている欧米人、
座って眺めている我々日本人。

不思議に落ち着く場所であった。
アッラーを信じる者は、全てこの不思議な空間で
手を携えることが出来るのかな…と思いつつ、
親子連れの御祈り風景を眺める。

3歳くらいの男の子が、お父さん、お兄ちゃんのように、
御祈りを見よう見まねで行う。
でも、やっぱりうまくいかなくて、また真似して、の繰り返し。

それを見たときに、一番思ったのかもしれない。
イスラムの良さというやつを。



ホテルまで迎えに来てくれた
スレイマンに空港まで送ってもらい、
始まりの場所、クイーンアリア空港にて、スレイマンとお別れ。
ここへ降りたった4日程前がすごく懐かしい。


やがて、アンマンからドバイへの飛行機が起つ。
旅行も、いよいよ帰路。
なんだか切ない、、、ヨルダン有難う。。。

と感概にふけろうとしたその時であった。


where are you from?


…相変わらずの絡まれやすさ。
隣にいたのは韓国人のビジネスマンのおっちゃん。

そこからドバイまでの三時間。
下手な英語で頑張ってコミュニケーションをとる。
韓国の巨大海運会社で働くビジネスマンらしい。
世界中の旅行や出張写真を、ノートPCで嬉しそうに
語りつつ、機内サービスのハイネケンで、

「かんぱ〜い!」


「僕はマッコリを7upで割って飲んでたよ〜」
「昔は妻が僕を尊敬していたが、今は僕が妻を尊敬している」
「トルコのカッパドキアは最高!見てみてこの写真!」

とまあ話は結局ドバイまで続く。
よう喋ることが尽きないなあと思いながら、
やはり韓国人のハングリーさはすごい…のか。

そして、一睡も出来ぬままドバイへ到着。
おっちゃんはドバイ国際空港でさっそうと帰っていった。。


ドバイ国際空港、、、待ち時間が長くてしんどいが、
一つだけやるべきことがあった。


ワイン屋さん。


行きでドバイにてトランジットしていた時、
ワイン屋を見つけたので入ってみた。
そこには僕よりも若いアジア系のお兄ちゃんがバイトをしていて、
レバノンワインを頼んだら最安のは5000円程度だと言ってきた。


4日ぶりに行ったけど、まだ顔を覚えていてくれた。
そしてレバノンワインを買って、店のソファーで一休み。
その店員は中国の武漢出身なのであった。
いずれ日本で働く、というのでいつかの再会を約束して
ようやく日本行きのフライトへ。
にしても色々な人と話して、絡まれて、飽きない旅になった。

帰りは当然エコノミー。
行きは良かったなあ。。。

そして関空に着いて、
スペイン人を助けたのは前に書いたとおり。




実は日記には書ききれなかったことも色々あって、
ヨルダン滞在中にアカバという南の街にミサイルが着弾したことで
日本の知り合いに少し心配をかけたり。


たしかに色々、心配する点は多い地域ではある。

だけれど、今回の旅で最も良かったことは、
僕のアラブに対する偏見が少し消え去ったことである。

国と国の関係は、民間の交流が基本であり、
国民一人一人が外交官だと思っているけれど、
正直ヨルダンの人達には、感謝の念でいっぱいであった。



firemanのように、ちょっと変わっているけれど
本当におもてなしの好きな人たち。

ジェラシュの土産物屋では、倒れて休んでいった
日本人の話が今でもされているかもしれない。

砂漠では今日もいつも通りラクダが寝て、
おっさんは楽器を奏でて歌うだろうし。

モスクでは今日もこれからも、
あの子供も死ぬまで、
祈り、願いを続けるのだろう。
いつか自分の子供とお祈りをするんだろうな。

僕らが日本でお土産話を楽しそうにしているように、
そして仕事で汗を流しているように、
相変わらず、毎日は続くのだろう。

今日も、明日も、きっと。



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2010年08月18日

Jordan旅行記D〜ジェラシュ、アンマン〜

8月4日

最後の一日は、ジェラシュというアンマンから50キロくらい離れた
古代都市遺跡のある街へ行くことになり、
初めてバスに挑戦することにした。


ガイドマップには、
「バスは時間が決まっておらず、一杯になるまで発車しない。」
「アラブ世界では、焦りは禁物である。」
というような記述が。

バス乗り場へ着くと、タクシーの運ちゃんが親切にジェラシュ行の
バスを教えてくれた。
そして、乗り込むと、乗客はリビア人の老人のみ。
どうも、前のバスが行った直後だったようである。

気長に待とうか、、、と思って待っていたが、
30分、1時間と過ぎると、さすがに暑さでイライラしてくる。
運転手らしき人は談笑したり飲んだり食べたり、挙句には商人に
パンツを薦められて買うか買わないか悩んでいたりした。

「ジェラシュジェラシュ!!」と呼びかける声がこだまするも、
何分待てばええねん!と思っていたら、相方が急に体調を崩して、
いったん外に出る。どうも暑さでやられてしまったらしい。

ジェラシュ行は諦めようかと思っていたが、
ようやくバスが動く気配があったので、
冷房も効き始め、とりあえず行くことにした。

30分ほどしてバスがジェラシュに着いた時、
熱中症で相方が倒れる。
親切なアラブ人たちに助けられ、売店で休憩していると、
地元のおっさんや警察までが駆けつけ、
「薬は!?」「病院は!?」「救急車よぼか!?」
「ほんでお前ら誰やねん!」
みたいな感じのことをアラビア語や英語で言われた。

そうこうしているうちに回復し、
無理ない範囲でジェラシュ観光を楽しむことに。

2000年以上の時の流れを感じさせる廃墟は
素晴らしい幻想的な雰囲気であった。

帰りのバス。
隣に座る制服姿のヨルダン人。
「警察かな」と思ってたら「fire man」消防士だった。

消防士は色々話しかけてくれて、
しまいには、「今晩ご馳走させてくれ」ということになり、
ちょっとドキドキしながらOKする。

「アラブ人はおもてなし好きなので、
 食事に誘われることもあるが、基本的には善意である。
 ただし女性だけで着いていくようなことはないようにしよう」

というような趣旨のことをガイドマップは書いており、
とりあえず直感を信じて着いていく。

約束のモスク19時半。
現れないな。。。と思ったら、20分遅れで到着。
そして車でひとっ走りした後、
ダウンタウンを観光しながら、レストランへ。
食事の後はさらにアクセサリーを買ってくれたり、
消防士からいろいろ御もてなしされた。

こういう出逢いがあるから、旅ってやめられない。
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2010年08月14日

Jordan旅行記C〜ワディラム〜

8月3日。

ペトラでの疲れをホテルで癒し、
翌日向かったのはそこから南に200`くらいの、ワディラム砂漠。

ここは、「アラビアのロレンス」で撮影された砂漠だそうで、
砂漠体験ツアーやキャンプをやっている。

見渡す限りの砂漠に、ジープに乗っけられ、
砂の中にジープが繰り出す。

車はガタガタ言いながら、強い日差しを浴びながら、
岩陰で楽器を演奏している老人を訪れ、
寝そべっているラクダの近くで、薬草をすりつぶして手を洗い、
昔の象形画を見て、最期にべドウィンのテントでお茶をもらう。

なんだかUSJの乗り物を壮大にしたような感じ。
で、気温は40度。暑い熱い。

砂漠ミニ体験を終えると、そこから300キロくらい離れた
首都アンマンに戻る。
今回高価なお金を払ったけれど、
ずっと専属ドライバー付で移動できるというのは、
こういう暑く不慣れな国で楽しい旅をするにあたっては、
良い選択であった。

アンマンについてからは、マリオットホテルへチェックイン。
さすが超一流ホテル。綺麗で広くて見晴らしも良い。

ビールが飲みたくなって酒屋を探すも、
地図が難しくて、1時間くらいかけてゲット。
イスラム教だからそもそも酒屋がほとんどないのであった。
また、スーパーに行ってお土産を購入。
あと、バーガーキングで晩御飯、と
アンマンの街を闊歩した。

次の日は完全フリーで、かつ最後のヨルダンで過ごす最後の1日。
古代遺跡、ジェラシュを見に行くのを楽しみに、
調達してきたペトラビール(ビールのくせにアルコール10%!)
で乾杯したのだが、、、


やっぱりビールは日本のが美味いね、という結論。
なんでも日本が一番。。。と少し日本が恋しくなってくる。
次の日はフリーで動ける最後の1日で、
目指すは古代遺跡、ジェラシュなのであった。

posted by JPAK at 18:19| Comment(1) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月12日

Jordan旅行記B〜ペトラ〜

8月2日
ホテルで美味しい朝食をがっつり食べて、
いざ向かうは世界遺産、ペトラ。
スレイマンの車は海抜をぐんぐん上がっていき、
遥かなる渓谷をずんずん進む。

車のおかげで、体力を維持したままペトラに到着。
ここから、4時間ほどのペトラ観光。
暑いから気をつけて、とスレイマン。

4000円近くの高い入場料を払って、
まずは馬に乗って突き進む。
案内人のアラブ人は、

「ジャッパニ〜ズジャパニーズゥゥ〜♪」

と歌いながら馬を引く。

対抗して、「ジョルダンジョルダン〜♪」と上機嫌な僕であったが、
馬を下りた途端、

「ばくしーし!!」(貧しい人への施し)

と要求するアラブ案内人。

上機嫌が一気に不機嫌に、
そしてめんどいので1JD(130円)渡して立ち去った。

「ばくしーし!!2JDぷりーず!!」

叫ぶ声がこだまする。



貧しいものに施しを与えることが、
イスラムでは善行であり、かつ天国へいけるための徳を積む
チャンスだとは言え、どうしてもただのたかりにしか思えない。
そのあたり、異国人、異教徒だからなのか、
それともやっぱりたかりなのか…そんなことを考えている余裕が
次第になくなるほど、この日は暑かった。

40度を越えている中、岩の中をずんずん進む。

インディ―ジョーンズのテーマを口ずさみながら、
てくてく歩くと、やがて、何の遠慮もなしにエル・ハズネが登場した。
メインの宝物庫みたいな遺跡である。
すっかり観光地っぽくなっていて、俗な感じだったが、
ラクダの座り方が妙になまめかしくて、とりあえず笑う。

さて、そこからエドディルという二つ目のメインに行くのだが、
エルハズネから約1時間登り続ける。
途中美味しい昼食を食べて体力回復したが、
階段を40分ほど登り続けて、
かつずんずん降りてくるロバを避けながら、
かつ強烈な日差しを一身に浴びながら、
いたるところにあるロバの排泄物の臭いが風にのり、
そして水は40度くらいの熱燗状態。









あつい…


くさい…


あつい…




そうこうして死にそうになりながら、ついにエドディルに辿り着いた!!
エルハズネよりも感動して、頂上の休憩所で相方と労をねぎらう。

冷たいスプライトで、かんぱ〜い♪








!!


なぜか感動のはずのスプライトは、
ほのかなロバの香りがして
どちらかと言えば、不味かった(というか気持ち悪かった)。



最期まで、やってくれるぜペトラ。





下りは上りよりもずいぶん楽で、
ラクダやロバの横をずんずん下り、進み、
ようやくスタート地点へ戻ってきたのは、
スタートから6時間ほど経った頃。

すぐにホテルへ行き、火照ってロバっている身体をシャワーで洗う。


そんな、長い一日が終わった。
ペトラを笑うものは、ロバに泣く。
でも、自分自身の力で完遂できたペトラ散策は、
とても心に残るものであった。



posted by JPAK at 00:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月10日

Jordan旅行記A〜マダバ、ネヴォ山、死海〜

車から降りると、外はカンカン照り。
そして、まず訪れたのは、ネヴォ山。
ここはかのモーセ終焉の地。
教会なんかもあって、とってもバイブルな気分に浸る…
と思って一生懸命教会に向かうと、
聞こえてきたのはショベルカーの音。

ガイドマップに載っていた一番の見所は、見事に工事中であった☆
残念!

エヴァンゲリオンの使徒みたいな形のモーセ像を眺め、
現地の女子学生達に絡まれ、写真を撮った後、
よたよたと車へ戻る。

スーツケースから取り出したるは温度計。
気温は…40度くらい。うーん、暑い。

昼ごはんは初のアラブ料理レストラン。
たまたま同じ日本人でツアーをしていた女子二名と合流し、
みんなでランチ。

初めての現地料理は、ホブスという平たいパンに、
ホンモス(豆の練り物)やタヒーナ(ごまの練り物)、サラダ、
そしてメインのカバブ(肉のグリル焼)。

お腹一杯で車に乗り込み、渓谷をぐんぐん海抜マイナス400m
まで、次は死海に向かう。

一泊目のMövenpick hotelに着くと、
一通り部屋を堪能してから、死海のプライベートビーチへ。


初めての死海…
どきどき。

待ちに待った瞬間…





ねとー。




っていう擬音語が一番しっくりくるような
ねっとり感たっぷりな水(お湯)だった。
これが死の海!

舐めてみるとしょっぱいどころか、むちゃくちゃ苦い。
舌を塩が走り回る感じ。

そして、浸かってみた感想。






…あ、痛い。






あせもが痛いよー

お尻も痛いよー

ひげそり後の顔も痛いよー

インシャアッラー

という感じで、
浮遊体験はすごく楽しかったけれど、
どちらかと言えば苦くて痛い経験であった。

でも、やっぱり慣れると楽しくて、
クリオネのように軽やかに惑いつつ、
日経新聞や池田晶子「死とは何か」を読むのであった。

そして死海から出たら速攻真水でシャワー。

身体から水分が吸い取られるので、
ジュースや水がとっても美味しい。

…考えてみたら、リゾートに来るのは人生初だ。



僕の人生初のリゾートは、
あらゆる生命体が生きることのできない、死の海。




そんなこんなで遊び疲れて、
ホテルの食事を堪能してから、
ようやくゆっくり就寝。

明日は世界遺産♪と、
ぺトラの恐ろしさも知らずに。

posted by JPAK at 00:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年08月09日

Jordan旅行記@〜出日本記〜

7月31日、夏休み初日の土曜日。
相方と天王寺駅にて待ち合わせ、特急「はるか」で夜の関西国際空港へ。

まつやで牛丼と豚汁を食しながら、旅の無事を祈りつつ、
「地球の歩き方」にて再度現地のお勉強。

夜の関空ってのは、人気もまばらで、寂しいものだと思っていると、
9時にチェックイン手続きが始まり、大行列の中、
1時間以上かけて一連の手続きが完了。
エミレーツ航空、初めて乗ったけれど、
多種多様な方々がいらっしゃって、さすがドバイ。

と、ここで日焼け止めクリームを入れるジップロックがないことに気づき、
(というかパスできると思い込んでいた)あえなく没収。
渡航経験の浅さを突き付けられた感じで若干へこむ。
にしても、なんで明らかに日焼け止めクリームなのに、
規定量以上だと没収されるのだろうか…。むむむ。

そして搭乗手続きに入った時、
急きょ呼び出しのアナウンス。
そんなところで呼び出しをくらったことがないので、
一瞬「なんかマズイことが…」と相方と慌てふためいた。

「本日エコノミーが予約以上になっており、大変すいませんが
 お客様をビジネスクラスにてご案内させていただきたいのですが…」

という思わぬラッキーな申し出に、
当然歓迎でエコノミーな方々よりも先に搭乗。
初めてのビジネスクラスはマッサージ機、マットレスがついていて、
リクライニングも完璧。
ウェルカムドリンクはモエ・シャンドンで、
こないだ六本木で飲んだら1000円くらいしたなぁと、
幸運とモエシャンに酔いしれながら、
23時半頃、関空を飛び立ったのであった。

リクライニングやマッサージをフル活用しつつ、
豪華な食事を楽しみながら、
ハイネケンやジュースも堪能し、
とりあえず一生に何度もないであろうビジネスクラスを満喫。
きゃっきゃきゃっきゃとやっていると、やがて眠気が襲い、
飛行機内なのに爆睡してしまう。

8時間後、ドバイ国際空港へ。
夜景はさすがゴールド・シティ。
美しすぎて、思わずため息が漏れた。

ドバイ国際空港にて、4時間程度のトランジット。
シャワーを浴びて、お土産を見て、
その後アンマン行きの飛行機に乗る。
今度はエコノミーで3時間のフライト。

やがて見えるのは、海から山へ、山から砂漠へ。
初めての中東に、心躍りながら、
長時間フライトを終えておりたったのは、
クイーンアリア国際空港。

ここで、ドライバーが我々を迎えてくれた。
ドライバーの名はスレイマン。
おお、アラブっぽい。

トイレに行くと、清掃員がアラビア語で歌を歌っている。
手を洗うと、ペーパーを手渡し。
喜捨すべき…?と思いながら、まだ両替もしていなかったので、
とりあえず「シュクラーン」(=ありがとう)と言って立ち去る。

外の気温は40度程。
中東の太陽が照りつける中、スレイマンの車に乗って、
最初に向かうはキリスト教の街、マダバ。
posted by JPAK at 00:53| Comment(0) | TrackBack(1) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする