北京生活情報

2011年01月27日

戸籍謄本

先日、戸籍謄本を入手したのだが、考えてみたら、
自分の戸籍謄本をきちんと見るのは初めてだった。
(他人のものは前の仕事で何度も見ているが)

それで、僕は四人兄妹(姉弟)なのだけれど、
兄が僕が生まれるもっと昔に亡くなっているので、
僕の個所には二男と表記されている。

当然、籍を出ていった人には「×」がつくので、
結婚した姉と、亡くなった兄にはそれがついている。

その手書きの文字と記号が、何故だか僕の目に焼き付いて離れなかった。
当然、親の籍からは僕も間もなく脱退して、自分を主とした
戸籍を、婚姻する方と作るわけで。
当然、相手も親の戸籍から抜け、その記号がつくわけで。

妹にだって、いつかはその記号がついて、
やがて、親2人だけの戸籍となる。

そんな、何十年後かのことを想像して、
きっと、その時に現在を思い出すんだろうな、と思ったり。

そして、亡くなった兄のことを、
思い出せるはずもないのに、思い出そうとした。

僕に人より何か少しでも優れている所があるのだとしたら、
それはきっと兄のおかげなんだろうと思う。

戸籍謄本なんて、物理的にはただの書類なんだけれど、
親とか、姉、兄、妹、
そしておじいちゃんやおばあちゃん。
間違いなくそのつながりの中にいるんだよなぁ、、、っていう
意識を、久しぶりに感じられた。

兄が生を受けた日に、そのちょうど29年後に、
僕は新しい戸籍を作ることになる。
それはただの偶然だったのか、今でも見守ってくれている、
という証拠だったのか。

何にせよ、あと少しで色々なことが大きく変わる転機だと強く感じる。
久しぶりに、落ち着かない最近である。
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2011年01月13日

ノルウェイの森

先日ようやく観ることが出来た。

僕は村上春樹氏のファンというわけではない(と思う)けれど、
この映画は、何となく観てみたかった。

小説の幻想的な雰囲気を、どのように映像化するのか。
あの難解な人間描写を、どのように役者が演技するのか。

ネタばれしない程度の感想としては、
原作を読んだことがない人は意味が分からないので、
その点がどうかと思った。

そういうつくり方をすること自体は悪くないのだが、
それならそうと、しっかり読み込んできてください、と
アナウンスすべきだと思うのだ。

そして、読み込んだ人にとっては、
色々不満も残る内容だったように思う。

僕としては、何よりレイコさんなんだけれど、
やっぱり永沢さんの魅力も、緑の魅力も、
描き切れていないような気もする。

勿論良い所もあったのだけれど。
松山ケンイチは凄いなあってのが、とりあえずの感想。


映画にするなら、5時間くらいにすれば良いのにねぇ。

「海辺のカフカ」とか「ダンス・ダンス・ダンス」とか、
映画化してくれないかな。

駐車場で魚がピッチピッチうごめく図を見てみたい。
posted by JPAK at 00:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月11日

Meisterstück 149

ケネディ元大統領が、アデナウアー元西独首相に対して、
調印式の時に貸してあげたのが、
モンブラン社の「Meisterstück 149」という万年筆だったらしい。

一生使えるものが欲しくって、色々検討した結果、
結納返しとして万年筆をいただいた。
それが、上記の「Meisterstück 149」。

今まで万年筆を使ったこともそんなに無いけれど、
初めて持つ万年筆が世界でも認められたモデルだということで、
今日から万年筆マニアになろうと決意しました。

思ってた以上に奥が深い万年筆の世界。。。
調べていると、なんだか興味が沸いてくる。

万年筆トークがしたい!!
posted by JPAK at 00:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年01月09日

2011年

遅くなりましたが、新年第一号の日記。

年始は、実家でゆっくりと過ごし、充電することが出来た。
毎年恒例の「元日古典読書」については、
今年はルソーの「人間不平等起源論」をチョイスし、
2日までかかったが読了した。

簡単に言えば人類が発達し、「所有」という概念が生じることで
「不平等」が発生した。
さらに社会の発展をすすめていくことで、「階層」が発生し、
不平等は確立される、ということ。

「徳なき名誉、知恵なき理性、幸福なき快楽」を追う存在に
なるだけであれば、進歩とは同時に頽落である、ということ。


古典の難しい本を読んだ後は、小説を読みたくなり、
海堂尊氏の、「ジーン・ワルツ」(新潮文庫)をセレクト。

不妊治療・体外受精を扱った医療ミステリー。
「命を産む」ということの重たさと、
生命倫理の根幹を扱った、非常に重たい小説だった。
どこまでが中絶として認められるのか、
殺人と中絶と何が違うか、、
障がいとどう向き合っていくか、
代理出産の是非、
厚生行政の行き詰まり、等。


そして今は島田裕巳氏の、「人はひとりで死ぬ」(NHK出版新書)
を読んでいる。

「無縁社会」がNHKで取り上げられ話題となったのが一年前。
だけれども、そもそもそれはどういうことなのか、
そして、それはどのような過程を経て至った事象なのか。
そういったことを宗教研究家として触れている。



何となく、最近の読書から得られた教訓としての共通点は、

いま起こっている事象を「悲劇」として捉えるだけの
短期的な視野は何も生まないということ。
我々が何を望み、意志し、決断してきたのか。
その結果どのようなことになり、
それは今後さらにどう進めていくべきなのか。

を、きちんと整理していくべきだということだろうか。

たとえば、「脳死」という概念は、
医療の高度な発達によってもたらされた事象であり、
法律や価値観の方が、
その事象についていけていない。

たとえば、「公的年金」を巡る議論は、
明らかに人員構成の変化、具体的に言えば平均寿命の伸長が
根本的な原因であるのに、人間の生き方・働き方そのものが
見直されるという議論の仕方は聞いたことがない。


自分の成長の遅さや、時間の流れの早さを、
どんなにか嘆いてみたって、気がつけば常に現在がここにある。
2011年だってもう1週間以上が過ぎて、きっとすぐに春が来て、
季節が流れて、来年が来る。


今を一生懸命生きようというのは当然過ぎることなのだけれど、
それだけではなくて、
これまでの歩みに対する敬意や慕情といったものを、
これからの歩みに対する希望や覚悟といったものを、
我々の人生の中に、きちんと持つことが出来るのか。

これが、「社会を良くする」ということに対する根本解に
なるのではないかなんて、また取り留めのないことを書かせていただく。


本年もどうぞよろしくお願いいたします。
posted by JPAK at 12:57| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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